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ソーイング

ドレスメーカー女学院

義母の部屋から古い古い冊子が出てきました。

義母はこの9月で101歳になります(大正8年 1919年生まれ)
去年の暮れに施設に入居したので相方が本の整理をしていたのです。


出てきたのは
ドレスメーカー女学院(今はドレスメーカー学院)の教科書と会誌でした。

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義母は18歳の時(昭和12年 1937~39年)単身上京してドレスメーカー女学院へ入学し、
二年間洋裁を学んだのです。

「筆記がはり 基礎縫ひ栞」と
左は表紙が無くなっていますが縫い方やパターンの引き方が載っています。

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発行年月日が昭和11年(1936年)です、義母の入学の1年前に発行されたものです。

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ドレスメーカー女学院は大正15年(1926年)に開校(生徒3人)され、
昭和6年(1931年)に東京都の認可学校となったようで
義母はごく初期の生徒だったという事ですね。



冊子のページをめくると玉縁ポケットの作り方とか
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前立ての作り方
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子供服のパターンの引き方まで詳しく載っています。

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もう一冊の「D.M.J会誌」は1948年(昭和23年)と記載されているので
義母が卒業した後の冊子ですね。

表紙を開くと「杉野芳子」院長の写真です。
大正時代から昭和にかけて活動したファッションデザイナーで
「ドレメ式洋裁」の創案者です。
日本で初めてファッションショーをしたとwikipediaに記載されています。

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義母が入学した時は欧州視察中、
帰国されたので生徒が講堂に集められ、院長先生の挨拶を聞いたそうです。
まっ黒なドレスに銀狐のショールという素晴らしい恰好で演題に立ってお話をされ
「私が着ているパリで買ったドレスは500円です」と言われたそうで、
当時の学校の先生の初任給が45円くらいだったのでとにかく驚いたそうです。

多分この校舎で学んだのでしょうね。
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70年以上前のスタイル画ですがモダンですね!

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院長先生が書かれた「今シーズンの傾向」とか
「パリのデザイナーたち」の寄稿文があり

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また職員による新しいデザインの解説等が載っています。

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義母が学んだノートも残っていました、
スタイル画は印刷したのを貼り付けてありますが
製図は義母が書いたものです。

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卒業証書も残っていました。

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義母は寮に入り、洋裁を学びながら青春を謳歌したらしく
(仕送りが一ヶ月65円だったそうです)
歌舞伎座へ尾上菊五郎の娘道成寺を見に行き、
東宝劇場(宝塚が見られた)、国際劇場にも通い
小夜福子、春日野八千代、芦原邦子、
三浦環の蝶々夫人からターキー(水の江瀧子)まで生で観賞、
映画ではシャーリーテンプルの「テンプルちゃん物語」まで見たんだそうです。
銀ブラをして資生堂パーラーでパフェを食べるのが楽しみだったって・・・

え~~~~~、羨ましすぎますよね!

義母の施設は6月1日から面会できるようになって週に一度通っていたのですが
7月17日からまた面会禁止になってしまいました。
この冊子が出てきたことも報告できないでいます。

三重県はふた月近く感染者が出ていなかったのですが
7月10日以降に10名くらいの感染者がでました。

いつになったら平常にもどるのでしょう、
いよいよ長期戦の覚悟がいりますね。



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Commented by ひみこ at 2020-07-20 19:45 x
70年前のスタイル画、全然古くないですね。モダンでお洒落です。
義母さん、素敵な青春時代をおくられたんですね。
ホント羨ましい!

コロナ収まりませんね(-_-;)共存していくしかないのかな?
でも困りますよね。自由に面会も出来ないですものね。
何とかならないのかな。
Commented by juliastardustrevu at 2020-07-21 03:38
私の和裁の先生が昭和3年生まれで
洋裁学校(地元)の話や職業婦人の話をよく聞きますが
昔の学びってすごいですね!
わくわくして見させてもらいました。
戦前、こんなにモダンだったんだ!
初任給が45円時代に65円の仕送りも羨ましい!?

コロナ、色んなところで影響がありますね。 
入院してますが、面会☓です。
Commented by こね太郎 at 2020-07-21 06:15 x
昭和初期のデザイン画はとってもおしゃれですね!
今でも十分に通用しそうなファッションばかり!
そして、観劇もカフェでパフェも楽しんでいらしたとは、当時の流行最前線の中にいたんですね。
とってもとってもうらやましい~♪
私もタイムスリップできるなら、ぜひ行ってみたいなと思っちゃいました(^▽^)/
Commented by reireipost at 2020-07-21 07:34
素晴らしい!!の一言です。良いものを見せて頂きました。おかあさま素敵な青春時代を過ごされたんですね。
Commented by chiffonmini at 2020-07-21 09:26
ひみこさん>
ねえ、当時のスタイル画がこんなに素敵でびっくりです。

早く平常生活に戻りたいと思うけど
withコロナになるのでしょうか、
ああ嫌だ嫌だ!
Commented by chiffonmini at 2020-07-21 09:32
juliastardustrevuさん>
いやぁほんとに私も感動ものでした。
義母の製図見て、相方の几帳面さのルーツはここにあったのかと再認識しました。
私もこんな遊学してみたかったです!

今日のご無事をお祈りして
落ち着かれたら入院日記、お待ちしています!
Commented by chiffonmini at 2020-07-21 09:37
こね太郎さん>
ほんと、今見てもお洒落ですよね、
義母が若い頃にこんなに楽しい青春を謳歌していたとはね、
私もそんな楽しい経験がしてみたかったです。

こちらは田舎なので観劇も美術館もままならず、
こんな時代になって余計にイベントが無くなってつまらないです。
Commented by chiffonmini at 2020-07-21 09:40
reireipost さん>
戦前の日本はこんなにお洒落でモダンだったのですね、

息苦しいwithコロナの時代になってしまって
余計羨ましさがつのります。
Commented by たくねこ at 2020-07-21 11:10 x
お義母様はモダンガールだったのですね!
この頃のお洋服は、上品でおしゃれだと思います。
母校の先生方も、よくこういう服を着てらっしゃいました。
スカートはタイトでしたけど、上品でしたね。
そういう大人になるのがあこがれでしたけど、
このスタイルが似合う体型ではない…
よくないですね!上品な老婦人を今から目指そうと思います!
Commented by デスタントドラムス at 2020-07-21 17:30 x
しふぉん@ばぁばさんはこの義母さんから洋裁を習われたのでしょうか
それとも専門的に習われたのですか

義母さんのこの貴重な
資料、大事に保管されてあったのですね
すごいなあ。
お元気なころはたくさんのハイカラな
お洋服作られたんでしょうね
当時としてはすごいことだったと思います
Commented by chiffonmini at 2020-07-21 17:56
たくねこさん>
こんな話を義母から詳しく聞いたのは三年前だったのです。

在宅医療でお世話になっている先生が、
高齢者介護の一環で「聞き書き」の活動をしておられたんです、
人生の先輩であるお年寄りに今までどんな生活をしてきたのか、
その体験を聞いて、
それを「本人のひとり語り」の形式に直して世界で一冊の本を作り
語り手に差し上げるという活動なのです。

義母一家は当時韓国に住んでいて、
終戦時に義母と家族は大変な思いで引き揚げてきたので
先生が是非この話を記録しておいて欲しいと頼まれたのです。
(十数冊作って相方の兄弟と孫たちに配りました)

その時初めて義母の青春時代を知ったのです。
義母が簡単な(筒状)スカートを作るのは知っていましたが
こんな本格的に学んでいたとは驚きでした。
Commented by chiffonmini at 2020-07-21 18:22
デスタントドラムス さん>
私は若い頃に少しかじったことはあるのですが
本格的に洋裁を習ったことは無いのです。

孫が生まれた頃(13年前)に「パターンレーベル」という
ネットでパターンが買えるショップを見つけたのです。

そこの解説書がもう痒いところに手が届くような丁寧さで(初心者でも縫えます、という)
孫の服を縫いたいという私の希望にぴったりと合ったのです。

好きこそものの上手なれ、そのままで
新しいパターンが出る度に購入して少しずつ縫えるようになったのです。
パタレさんの解説書のお陰でここまで来たのです。

義母は若い頃に洋服を縫っていたようですが、
私は嫁いでこの方、あまりそんな様子を見たことが無かったので
この話を聞いてびっくりしたのです。

若い頃の義母がこんなに活動的だったとは知らなかったので
東京での話はわくわくしながら聞きました。

Commented by 花の28年組 at 2020-07-21 18:27 x
お義母さま、ドレメで洋裁を習われたんですね。

私も50年近く前に一年間だけ洋裁学校に通いました。
文化式の文化服装学園系列の洋裁学校です。
近くにあるドレメ学院の生徒とはライバル意識を
燃やしていました。

そうそう、ドレメと文化式は原型(型紙)が明らかに
違っていたんだと写真を見て懐かしく思い出しました。

昔は自分サイズの原型を作って、そこからパターンを起こしていました。
今は出来合いの型紙が売っているので便利な世の中になりました。

お義母さま、古き良き時代に青春時代を謳歌なさって。
コロナと共存していかななくてはならない生活を考えると
私たちの若いころも、すごく恵まれた良き時代だったなあと
つくづく実感します。

もう、のほほんとした生活は戻ってこないのでしょうか。
なんか、やるせない気持ちで一杯です。
Commented by chiffonmini at 2020-07-21 19:06
ニッパチさん>
当時は花嫁修業の一環でしたものね、
私も通ったことがあるのだけど半年行ったかどうか・・・?
まぁ、苦手でね、
親のお金での習い事は全く身に着きませんでした。
身銭を切ってこそ、今なら良く分かります。

ほんとにね、withコロナで行くしかないのでしょうか、
いや、マスクの無い生活にいつか戻れると希望は捨てていません。
早く笑い話にしたいよね!




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by chiffonmini | 2020-07-19 19:16 | ソーイング | Trackback | Comments(14)

お菓子を焼く、ミシンで縫う HANDMADE 大好きな しふぉん@ばぁばです。最近自作のドライフラワーにはまっています!


by しふぉん@ばぁば
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