浅田次郎「お腹召しませ」読了。

さすがに浅田氏は「幕末から明治維新」の時代を書くのはお手の物。
浅田氏本人が祖父から聞いた昔話が元になっており、一話一話(短編)のプロローグ、エピローグに浅田氏本人が顔をみせ、小説の着想を種明かしされているのもおもしろい構成です。
巻末「跋記」の中にとても興味深い事が記してありました。
「私は子供のころから、文学が好きで歴史も好きだった。だがふしぎなことに、この二つの興味を融合した歴史小説は好まなかった。自由な物語としての文学様式を愛し、一方では真実の探求という歴史学を好んでいたせいである。
つまり、小説はその奔放な嘘にこそ真骨頂があり、歴史学に嘘は許されぬと信じていたから、歴史小説を楽しむことなどできるはずはない。
小説として読めばわずかな学術的説明も邪魔に思えてならず、また歴史として読めば処々に腹立たしい記述を発見してしまう。自分が歴史小説なるものを書くにあたって、最も苦慮した点はこれであった。
嘘と真実とが、歴史小説という器のなかで何ら矛盾なく調和していなければならぬ。これは奇跡である。」
「嘘と真実とが、歴史小説という器のなかで何ら矛盾なく調和していなければならぬ」
これこそが歴史小説ファンの最大の楽しみなんですよね。
ますます浅田さんの歴史小説から目が離せません!

さすがに浅田氏は「幕末から明治維新」の時代を書くのはお手の物。
浅田氏本人が祖父から聞いた昔話が元になっており、一話一話(短編)のプロローグ、エピローグに浅田氏本人が顔をみせ、小説の着想を種明かしされているのもおもしろい構成です。
巻末「跋記」の中にとても興味深い事が記してありました。
「私は子供のころから、文学が好きで歴史も好きだった。だがふしぎなことに、この二つの興味を融合した歴史小説は好まなかった。自由な物語としての文学様式を愛し、一方では真実の探求という歴史学を好んでいたせいである。
つまり、小説はその奔放な嘘にこそ真骨頂があり、歴史学に嘘は許されぬと信じていたから、歴史小説を楽しむことなどできるはずはない。
小説として読めばわずかな学術的説明も邪魔に思えてならず、また歴史として読めば処々に腹立たしい記述を発見してしまう。自分が歴史小説なるものを書くにあたって、最も苦慮した点はこれであった。
嘘と真実とが、歴史小説という器のなかで何ら矛盾なく調和していなければならぬ。これは奇跡である。」
「嘘と真実とが、歴史小説という器のなかで何ら矛盾なく調和していなければならぬ」
これこそが歴史小説ファンの最大の楽しみなんですよね。
ますます浅田さんの歴史小説から目が離せません!
by chiffonmini
| 2007-09-18 22:02
| 読書
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